自己肯定感とかいう新語流行語
ここでは自己肯定感という言葉について私が思う事を綴っています。自己肯定感は文字通り考えるならそりゃあ大切なものなんでしょうけど、そんなに重要な事なのかなーって思うんです・・・。
自己肯定感って何?
いつからでしょうか、私が子供の頃にはなかった言葉だと思うんですよね。いや、あったのかもしれないけど、私は知らなかった。自己肯定感が低いとか高いとか、自分に自信が持てるとか持てないとか。一体自己肯定感ってなんなんでしょう。
wikipediaによりますと、定まった定義はないそうなんですが「自らの在り方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する言葉」だそうです。
以前以下の記事で少しだけ自己肯定感に触れました。以下の記事では自己肯定感を高めるには特技を身に着けたり理想の体型になる事ではなく、何もできない、何も持っていない自分を受け入れる事。というような事を書きました。その気持ちは今も変わっていません。ただ、追記で考えたい事があるんです。
自己肯定感って常に高い方がいい?
自己肯定感という言葉の意味を考えるとやっぱり自己肯定感って高い方がいいのかしら。なんでしょう、あんまりそう思わないんです私。もちろん自分を過度に卑下したり、自分なんかいない方がイイとか、自分を否定し続ける状態は良くないと思う。そういう感情は生きていく上で邪魔なものだと思う。しかしそもそも人間なんて全員どこかしら欠点があって、良い所もあって、それが当たり前という大前提があります。
皆に聞きたいんですが、自信満々の人って好きですか?正直私はあんまり好きじゃないです。ポジティブを押し売りしてくるポジティブクソ人間も大嫌いです。
特定の分野に関して、たくさん練習してきたとか、長く携わっているから失敗しない自信がある、というのはとてもいい事だと思います。私もいずれは今頑張っている事、仕事や勉強の分野でもっと自信を持って生きていきたいと思ってます。しかしそうではなくて人間性そのものに過度な自信と100%の自己肯定感と自己愛を兼ね備えた人間と私は仲良くなれる気がしない。
だって欠点のない人間なんていないんだから、時には自分を責めたり、後悔したり、だから自分はダメなんだよなぁと落ち込んでみたり、その方がよっぽど当たり前で親しみやすいんです。
自信のなさはその人の愛嬌
色々な知り合いを眺めていますと、中には絶対に自分を責めたりネガティブな言葉を口にしない自己肯定感満載の人間もいます。人生自己満足の問題なので、もちろんその人がそうやって自信を持って生きていけるのは何も悪い事ではないのですが、ミスをしても、間違った事を口にしても絶対に自分がバカだったという方向に思考が向かないので周りはかなり困惑しますよ。もちろん間違える事は誰にでもある事、落ち込む必要なんてない、次から気をつければ良いんだけど、そこで自信満々だったり間違い自体まるでなかったかのように振舞えるのは自己防衛本能からなのか、うーん私は決してそういう人間になりたいとは思いません。何か失敗したら動揺するのは当たり前だし、ここぞという時には不安になったり、ガタガタ震えたりするのが人間なんです。あーこれで良いのかな?自分は間違っていないかな?と軌道修正していける素直な人間に私はなりたいと思いますよ。あくまでもそういう意味で、自信なんかいらないんです。ポンコツ人類の愛すべきところはその人の欠点の方にあるんだから。完璧な人間はいない、そしていたとしてもそんなヤツと友達になりたくない。
必要のない自信のために落ち込む事が必要ない
だから最近「自己肯定感を高めたい」とか「どうやったら自分に自信が持てるか」「自分に自信が持てない」などの悩みを見聞きするたびに思うんですが、そんなの必要ないって。自己肯定感も自信も満々だったらただのヤバいやつだからって。自分はこれで100点だと思わないから見えてくる世界ってたくさんあるんですよ。自信がないからミスってないか何度も確認したり、確かさを追求するでしょう。車だってめちゃくちゃにヤバい事故を起こす人ってだいたい自信満々に運転してるんですよ。事故らないように、自分の運転に心配しながら運転する人の車に乗りたいですよね。だから自己肯定感を高めようと何かを頑張る事は全然悪い事じゃないし、自分を大切にしてくれない人には近づかない、自分で自分を守るのは良い事だけど、自己肯定感や自信がない事をまるで欠点みたいに言わないでね。むしろ美点だからね。
2024年8月