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【失ってわかる事】ペットロス【どうすればいいの】

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【失ってわかる事】ペットロス【どうすればいいの】

来てくれてありがとうございます

この記事では大切なペットを失って、ペットロスになってしまった人と共感したい内容を書いています。大切な存在を失う事を私はこう考えるようになりました。私にしか書けない内容だと思います。経験談、それを乗り越える事についてを書いていますので、気になるところへ目次使ってね。

それぞれのペットロス【親・子供・兄弟】

立場が違えば

私は犬も猫も既に共に暮らしている家に生まれてきました。実家を出てからも保護動物活動を手伝っているため、生まれてから人間だけで暮らしたことはまだ1度もありません。

実家時代、すでに何匹もの犬、猫を看取りました。中には急死してしまった仔や辛い治療の末に亡くなった仔もいますので、小学校高学年にもなる頃にはそうした悲しみや、もっとこうしてあげれば良かった、こんな事しなければ良かったという飼い主さんにありがちな後悔も子供ながらに経験して、十字架を背負い、乗り越えてきた、ある意味慣れてきたつもりでいました。

しかし実家を出て、保護動物達と暮らすようになり、初めて自分で猫を看取った時に衝撃的な体験をしたのです。とんでもなく悲しくて悲しくて仕方ないのです。実家で何回も経験し、その都度深い悲しみに見舞われ、それでも乗り越えてきたはずだった猫の死が辛くて辛くて仕方ないのです。

この時に私は初めて、実家では自分で犬猫を育てていなかった事に気が付きました。私は犬猫を適当に可愛がっていただけで、育てていたのは母だったのですね。実家犬や実家猫が死んだとき、母はこんなにも悲しい思いをしていたのか、という事にも気が付きました。

子供の立場で猫の死を経験し、授業中急に涙が出てきてしまったり、心が不安定な状態、まさにペットロスだったなと思う事もあります。しかし実家を出て自力で飯を食わせ、自力で看病し、私の隣で猫が息を引き取った経験は想像していたものとは全く別の種類の悲しみだったのです。この仔の生前の思い出を笑って話すことが出来るまでに5年かかりました。

あたい
あたい
今はもう大丈夫。良い最期だったとすら思えるよ

【いつまでも】経験した人にしかわからない事【自責の念】

実家を出て初めて、新たな悲しみを経験し、その経験を胸に日々保護猫保護犬と暮らしてきた私ですが当然、その仔達も亡くなる時が来ます。その都度例えようのない悲しみを経験しなければならないのですが、それでも生きてこられたのは飼い主は動物の最後の最後まで面倒見るのが仕事、看取る事は責任、当たり前の事、と心の底から思っているからです。最後まで責任を果たせた事はありがたい事、とすら思っています。

しかし昨年(2023年)、本当に私は何もわかっていなかったな。甘いなぁ。まだまだだな、と思う出来事がありました。我が家で暮らしているのは保護猫ですので、家族になった時には既に成猫だった仔も多く、昨年は老猫達の介護が続き3匹を看取りました。立て続けに看取るだけでもかなりきついものがありましたが、最後に亡くなった仔の介護の経験は言葉にできない程の苦しみがありました。その子の名前は「もなか」です。もなかはガンでした。顔にできるガンで、5月に顔に小さなおできを発見して検査してから、あっという間に顔面の形状が変わり、片目を摘出する手術をしましたが良くなる事はありませんでした。

日に日にもなかの形は変わり、患部から血液の混じった漿液(しょうえき)を垂らしながら生きていました。先生は安楽死の提案をされました。それはもなかのためではありません、猫は自分の変わりゆく姿を鏡で見て打ちひしがれる事はない、しかし刻一刻と変化し、腫れあがる患部から漿液、血液を垂らしながら生きる愛猫を見て、飼い主の私たちが耐えられますか?というお気遣いでした。正直申し上げて、その期間、1ヵ月程度の事だったでしょうか、細かい事は覚えていませんが、私が生きてきた中でどの時間よりも、辛くて、苦痛で、耐えがたいものでした。
無論、愛猫が苦しくないのなら見た目なんてどうだっていいのです、片目なんてなくったって、顔が腫れあがっていたって、そんな事はどうでも。しかし、この場合のそれは、まさに、もなかに何の解決策も見つけてやれず、ただただ死にゆく姿を見せつけられている、それがもなかの見た目に表れているようで強烈に苦痛でした。うだるような暑さの夏の夜中にもなかは息を引き取りました。

もなかが亡くなって完全に自分の保護責任者としての感覚は変わってしまいました。飼い主なんだから看取るのは当たり前、その気持ちは変わらないけど、ありがたいという気持ちにはなれず数か月を過ごしました。共にもなかを育てた仲間も、将来は自分たちで田舎の方に動物保護施設でも作りたいな、と常々話していたのに、もなかを看取った後は完全に自信を喪失、自分達には猫を引き取る資格がないとすら話しました。他にも方法があったんじゃないかという考えや、治りもしないのに大手術をしてしまった事への自責の念。これらは一生私たちが抱えていかなければならない記憶です。

このように同じ看取りの経験といえど、どうやって亡くなったかによって、後々抱えていかなければならないものも変わってきます。お顔に症状がある仔の看取りは、他に例えようのない経験でした。

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乗り越える方はあるのか

乗り越える必要はない

もなかが亡くなって10か月近くの時間が経ちました。昨年はもなかを含めて3匹の猫が亡くなった事もあり、深い悲しみだけでなく、物理的に部屋が広すぎたり、生活に占める猫の割合が減り、大きな違和感がありました。一時、私は本当に良くない状態だったと思います。ただぼーっとしていて、休みの日は殆ど横になっていたり、大好きなゲームをやっても全く面白くない、というか何も感じない、何もかも面倒くさい。しかし半年以上経ちますと徐々に時薬が効いてきます。やはり、家族を失った悲しみを自力で乗り越えるというのは無理ですし、悲しい時は思いっきり悲しまないとダメな時もあります。結局時間の力を借りるしかないんです。いつまでクヨクヨしているんだ自分、なんて思う必要ありませんよ。ただ、どっぷりと悲しんでいる最中に、これはまずい状態だなと思う所までいってしまったら、具合的にはうつ症状、不眠、後追いしたいという願望が強い、やる気が全くでない、女性でしたら生理が止まるとか、ご飯が食べられない、あるいは異常な過食、等症状は様々でしょうが、これはちょっとマズイかも知れないと思ったら躊躇する事無く心療内科を受診しましょう。対処療法ですが、時薬が効いてくるまでの間、完全に心が壊れてしまう前に、睡眠だけでもきちんととっておいた方が良いです。カウンセリングや、ペットロス専門の相談ができる機関もありますので、調べてみてください。

学び

そもそも死ぬ事は・・・

昨年、3匹を看取り、深い悲しみの真っただ中にいる時は建設的に物事を考える事ができませんでした。しかし時間が経つにつれ、家族の死に対する受け止め方も変わってきました。私たちは、恵まれた時代に生きているからついつい忘れてしまいがちなのですが、生きている限りいつ死んでもおかしくないという事。もしかしたら今日死ぬかもしれないという事、今日なのか80年後なのか解らないだけで誰でも必ず死ぬ事。それは当たり前の事で全く異常な事ではない事。頭では解かっているつもりでしたが、この事を本当には理解できていなかったんだと気が付かされました。死ぬ事は悲惨な事ではなく当たり前の事。不幸な生き物にだけ訪れるわけではなく、全ての生き物に起こる出来事。生まれるという事は、死ぬという事です。

死に方を選べるわけがない

家族や仲間が亡くなったら悲しい、寂しい、この気持ちはもちろん生じますが、「死」自体は悲惨な事でも何でもない、当たり前の事。生まれたら死ぬ事は決定事項。そうは言っても、死に方が悲惨すぎる場合、残された者は大変苦しむ事になります。もなかが亡くなってしばらくの間は、世の中を呪いたくなるような気持ちになる事もありました。しかしふと、芸能人が闘病の末亡くなったというニュースを見て思ったんです。どんなに名誉や地位やお金があっても死にたいように死ねるわけないよなって。考えてみればそれもまた当たり前の事。食生活などである程度健康管理をする事は出来ますが、その結果苦しまずに綺麗な顔で死んでいけるかはただの運です。世の中を見渡してみたらどうでしょう、毎日世界中で何の罪もない人が大量に殺されたり、朝まで元気だった人が事故にあったり、災害に巻き込まれたり。動物はどうでしょうか、人間はなんの罪もない動物を食べるために殺し、犬や猫も殺処分、野生動物も害獣だと理由を付けて殺しをするでしょう。野生動物同士だって毎日殺し合い、死と隣り合わせです。人間や動物にとって、何も悪い事をしていないのに悲惨な死に方をする事って日常茶飯事だという事をつい忘れてしまっていたんです。つい世の中のキレイな部分だけを見て生活してしまっているのかも知れない。私たちは恵まれすぎているから、上手くいかない事があると大きく動揺しますが、そもそも生まれてきたり、死んだりする事をコントロールできるわけがない。生まれる事だって選んできたわけじゃないんだから。今日はなんだか肩がこるなぁ、こんな小さな体調だって自分でコントロールできないのに、死に方なんて選べるわけがなかった。心からそう思った時、もなかが悲惨な姿で亡くなった事も、誰にでも、どんな生物にも可能性のある事なんだと、それがこの世の中なんだと思った。仏教の考えでは「生きる事は苦」と、いとも簡単に言いますが、その事がストンと胸に落ちるものがありました。そっか、苦しくて、上手くいかない事は当たり前の事なんだった。忘れてた。

視点

こんな悲しい思いをしてまで何かを学びたくはない。本当にそう思う。でも、起こってしまった事からは何かしら学んでしまうものです。私は、犬猫を介護、看取る、という経験をしなければこの考えには至らなかったなと思う事が多々あります。
もなかが片目を摘出して、鼻からの流動食で暮らしている短い間の事。病院の待合室でもなかと順番を待っていると、キャリーの中のもなかの顔を悲しい顔で覗き込んでくる人が何人もいた。さらに新人の先生が待合室に出てきてキャリーの中を覗き込み、片目のもなかに一言「あなた痛々しいねぇ」と言った。正直あまりいいい気分ではなかった。こういう時、私はこういう気持ちになるのか、と思った。

この時、私はフリーター時代のある出来事を思い出していました。雑貨屋で働いていた私は、その日レジ担当でした。レジ脇には小物商品が並べられている棚がありお客さんの全身は見えない状態です。お客さんが会計にもたついている感じだったので、どうしたのかと覗き込んだら、そのお客さんは小さな赤ちゃんを抱っこしていて、赤ちゃんの鼻からは管が出ていました。その時は小さいのに病気とは大変だな、としか思いませんでした。その事がもなかとの待合室で凄く申し訳なくなってきて、お母さんは子供の鼻から管が出ているから物珍しそうに店員が覗き込んできたと思っただろうな、とそこに着地するとは思わない方向に私の気持ちは動揺しました。見た目にわかる病気を持った人、又はその親の気持ちを想像しました。

もなかの経験以外でもたくさんあります。介護を苦にした殺人や自殺。なんとも適当に大変だなぁ、可哀想に、と聞き流していたニュースの当事者たちの気持ち、殺す方、殺される方どちらの気持ちも、もちろん他人の考えですので完全に理解できる事はありませんが、考えもしなかった事を想像し、一部共感できるような事はとても増えました。こうした学びや気づきは、立ち直りへの第一歩になりました。

幸運

「大切に大切に育ててきたからね、悲しくって当たり前」

どんどん悲しんであげて、時薬が効いてきたら、笑って思い出話でもしてあげてね。

我が家にもまだ猫がおります。亡くせば亡くすほど、残された仔はより過保護に、神経質に育ててしまいます。それでもまたこの仔達も亡くなる日が来るでしょう。それは今日かも知れないし、ずっと先かもしれない。その時はまたものすごく悲しくて寂しい思いをするでしょう。それでもそれは当たり前の事で、むしろ今日まで生きていてくれた事が本当に幸運な事、ラッキーで最高な事だったのだと受け止められるよう毎日を生きています。

 

2024年5月

 

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