解決【私たちは何故他人と比べてしまうのか】
ここでは私たちはなぜ他人と比べて劣等感を感じたりみじめな気持ちになってしまうのか、そもそもそれは良くない事なのか、他人との比較から逃れる事はできるのか、私の考えを書いています
他人と比べる事はダメな事?
他人と比べる事の自然さ
私たちは誰しも1人では生きていけませんので、多かれ少なかれ他人と関係しながら生活しています。そしてその人間関係の中で時に人は劣等感を抱きます。なにも家族や学校、会社でだけではありませんよね、道ですれ違った人、メディアの中の有名人などと自分を比べて情けない気持ちになったり、劣等感はいつ襲ってくるかわかりません。
劣等感を抱くこと自体楽しい事ではありません。ですが一概に良くない事とも言えないはずです。人類はそもそも他人を蹴落とし合って歴史をつないできたんだし、他人に負けたくない、他人より劣っていたら悔しい!他人より強くありたい!という気持ちは良い悪いというより自然なものですよね。まず、「私はどうしてすぐに他人と比べてしまうんだろう・・・」という悩みが発生したら
と簡単に言っちゃってあまり悩まない方がイイでしょう。
そのうえでこの現代社会では出世争いに負ける等、広義には他人に蹴落とされる事もありましょうが、昔と違って他人より劣っていたところで物理的に殺されたりする時代ではありません。もう無駄な心の戦いはお休みしたいところです。
人と比べて疲れる事をお休みするには
難しく考えない
私は劣等感を抱く気持ちは非常によく理解できますが、今はあまり自分と他人を比較して自分を評価したりはしません。
何故かというと本当に心から「私たちは全員、全く違う生き物なんだ」という事を理解しているからです。
私は大学で自分より何倍も速く単位を取る人を見て、いいなー、すげーな、とは思うけどそれに比べてわたしは・・・なんてことは思いません。いや、思わないというより
という感じです。深く考えることをしません。自分でももう少し焦ったら?と思うくらいです。前述しましたようにその方達とは、労働環境や生活様式、今まで生きてきた道から生まれ持った体力まで全てがまっっったくと言っていいほど違うからです。人間であるという事以外何も共通点がないのに、結果を比べて気にすることに意味がないんです。
見えている事は真実ではない
先ほど、大学の単位の話をしましたので引き続き私の大学の話を例にしてみます。私が在籍しているのは大学の通信教育課程ですので、学生の年齢や職業はバラバラ、現役の学生から定年退職後の先輩方まで、18歳からおそらく70歳くらいまでの人が同じ学生として在籍しています。現役学生や定年退職後の方達は当然ですが専業学生ですので、比較的単位修得はスムーズにいく傾向があります。逆に働いている世代は勉強に充てる時間を確保する事が難しくなる傾向にある事は簡単に想像できるでしょう。
しかし世の中はそんなに単純で甘っちょろいもんじゃあありません。専業学生でも経済的な理由で長時間アルバイトしている人もいますし、独身の家事手伝いという立場にあっても家族の介護などで思うように自分の時間を確保できない方もいます。同じ既婚者で仕事をしている立場の人間だって、帰宅してから家族の食事作りを担当している人と、帰宅すれば風呂が沸いていて食事も用意されている人では全く事情が異なります。そしてそれら家庭の事情はその人に張り付いて密着取材でもしない限り知りえる事ではありません。人一倍苦労して苦労して得た単位なのか、なんか適当書いたら合格してしまった単位なのかも知る由もありません。
それなのに目に見える情報だけで判断し
などと言っている人がいたらどうでしょう。その人が無知なだけですよね。
だから自分も気にしない代わりに、他人をばかにしたりはしないことです。
呪文を唱える
私たちの心はすぐ他人をうらやんだりしてしまうのですが、私たちがうらやんでいる富、美貌、名声、学力などはもしかしたらその人が想像を絶する努力をして得た物かも知れないです。私たちは他人と比較することが自然な反応である一方で、それが無意味であることも理解すべきです。あ、私今他人と自分を比較して自分に劣等感を覚えたな、と自覚するところから始めて、その自覚を得たら「自分、自分、自分」でも「無意味、無意味、無意味」でもなんでも良いので、自分で言葉を決めて心の中で唱えてみて下さい。他人の成果をそのまま自分に照らし合わせる事に無理がある事、無意味な事。
なぜ私はすぐに自分と他人を比較して落ち込んでしまうんだろう、と悩んでいる人。それはあなたと他人が全く比べ物にならないほど別の生き物であるという「本当」を理解していないからです。
2024年9月